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楪 望さん

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  • 2021年3月12日
  • 読了時間: 13分

更新日:2021年3月13日


楪 望 Yuzuriha Nozomi


広島県広島市出身。横浜国立大学教育人間科学部在学中、テレビ朝日アスクへ通いながら「女子大生レポーター」としてテレビ神奈川の情報番組『みんなが出るテレビ』に出演。ウェザーニュース「おは天」にも中国、四国エリア担当キャスターとして出演した。2010年にアナウンサーとして広島ホームテレビへ入社。2011年に退社後、同年からテレビ大阪の契約アナウンサーとして活動。2014年に退社してフリーアナウンサーとなる。

以降はインターネットテレビ局「ABEMA」の「ABEMANEWSチャンネル」でキャスターを務めるほか、『報道ステーション』などテレビ朝日の報道番組でリポーターを務める。

出身を活かし、広島県観光特使としても活動している。



———アナウンサーに興味を持ったきっかけを教えてください。


私は幼いころから広島カープが大好きで、当時の市民球場に父とよく野球を見に行っていたんです。その時にスタジアムでヒーローインタビューをしている男性がいたんですが、それがすごくかっこよく見えたんです。それがきっかけで、「アナウンサー」という仕事に興味を持ちました。



——その頃からずっとアナウンサーを意識し続けたんですか?


ぼんやりと、1つの夢として持つようになってはいました。ただ、当時はテレビに出る仕事ってそんなに簡単になれるものじゃないんだろうなって思っていましたし、それを公言することも恥ずかしいなって思ったりしました。1つの夢としては持っていたけれど、その他にも、小学校の先生というのも選択肢としてあったりとか、あとは実家が歯科医院で、それを継ぐとかっていう話もあったりしました。でも、自分の中でのプライオリティーとしては間違いなくアナウンサーというものはすごく高いものとしてありました。「人に伝える仕事」をしたいという思いが強かったので、「アナウンサー」や「先生」という喋る仕事に重きを置いて考えていたという感じです。

本格的に目指し始めたのは高校2年生のころだったと思います。大学を決める時に、親が、アナウンサーになるんだったら、広島弁とか身に付いていたら困るし、どんな所にも出ていける、海外にも一番近いというところで、東京の大学に行きなさいと。そんな感じの教育方針でした。高校2年生の時に東京外国語大学と横浜国立大学のオープンキャンパスに行きました。その時に絶対に横国に行ってアナウンサーになるんだっていう、自分でルールを決めて頑張りましたね。



―—アナウンサーになるために学生時代にやられていたことはありますか


局のアナウンサーの試験に受かるために、学生アナウンサーとしての経験は色々積むように、自分の中では心掛けていました。

大学2年生の冬に初めてテレビ神奈川の女子大生レポーターという仕事が決まって、そこからテレビの世界に直接的に関わるようになりましたね。その時くらいからアナウンススクールにも通い始めて、大学3年生くらいのころから本格的に色々な活動が始まりました。ウェザーニュースのお天気キャスターをやったり、あとは、東京MXテレビの学生アナウンサーみたいな番組を担当したり。







——テレビ神奈川のレポーターはどうやって決まったんですか?


オーディションがありました。ウェザーニュースもオーディションでした。

アナウンサーに「本当に自分がなれるのか?」とか「夢物語じゃないのかな?」という思いがあったんです。そんな思いの中でオーディションを受けに行ったんですが、ありがたいことに採用していただいて、仕事をさせてもらって。それら一つ一つの経験が自信に繋がって、アナウンサーっていう夢を目標として持っていいんだという思いになっていきました。



——それまで、アナウンサーとしての勉強、例えば喋りの勉強とかは特にせずに、そのままオーディションに行かれたという感じなんですか?


そうですね。

ただ、ずっと心掛けていたのは、大学というのは、横の繋がりはすごく強いんですが、縦の人達と会うことってほとんどないんです。なので、色んな人に会って、色んな話を聞いて、知らない世界を知ること、小さな世界に留まらないことを心掛けていたかもしれないです。



——縦というのは、社会人の人ということでしょうか?


そうです。部活の先輩で社会人になっている人と会って、またそこから別の、テレビ業界の人と繋がらせてもらったり、お仕事で一緒に働かせてもらっているディレクターさんとかにご飯に連れて行ってもらったりしました。その繋がりで銀座のクラブとかにも連れていっていただいてママさんと会話させてもらったりもしました。例えばその時教わったのは、銀座のママは色々な話題に対応するために、新聞の一面の端っこから最後のページまで、毎日読んでいて、どんな話が飛んできても、専門的には話せなくても、その相手に寄り添った会話ができるようにしているんだということを聞いて、すごいなと思ったのを思い出します。



――大学2年生の後半くらいからアナウンススクールに通われていたということですが、いくつか通われていらっしゃったのでしょうか?


テレビ朝日アスクの1か所だけです。

東京MXのお仕事とかは、テレビ朝日アスクがオーディションを持ってきてくださいました。



――逆に、今思えば、学生時代にあれやっておけば良かったみたいなことはありますか?


留学ですね。本当にしておけばよかったと思います。やっぱり、社会人になると時間が取れないし、大学生の時は部活をしていたか、すごく働いていたかのどっちかだったので、卒業旅行も行っていないし、サークルの人達がやっているような飲み会もしたことなくて。そういう楽しみ方もしたかったなって思っています(笑)



――留学したかったっていうのは、アナウンサーになるためにしておけば良かったということですか?


というよりは、人生の肥やしみたいなものとして、です。

それこそ、私、実は初めて喋った言葉が英語らしいんです(笑)



――それはどういうことでしょうか(笑)


Chairって言ったらしいんです。ただ、ちゃーって言っただけかもしれないんですけど(笑)

本当は両親、私を海外で育てたかったらしいんですけど、そういう環境にいさせてあげられない結果になっちゃったからって言って、家でずっと英語のビデオを見せてくれていました。

もちろん日常会話は日本語だけど、英語をできるだけ環境の中に入れてあげようっていう教育の仕方をしてくれていて、ホームステイに行ったり、中学3年生の時はテニス留学もさせてもらいました。



――どちらに行かれたんですか?


アメリカのフロリダに行きました。

そういった経験で、今も英語を使ったお仕事はさせてもらっています。

だからアナウンサーなるためというより、英語とか外国語って、多分これからの時代、世の中がもっともっとグローバル化していく中での武器になっていくだろうし、英語喋れて当たり前っていう世の中って多分、絶対もうそこまで来ていると思っているんです。



――英語を活かしたお仕事とかも多いんですか?


それこそ、アメリカ大統領選とかでいうと、候補者が演説で喋った言葉とかを聞いて、すぐにニュースに出せるように、通訳みたいな仕事もさせてもらっています。

去年の2月には、ニューヨークに取材行かせてもらいましたね。現地では英語でずっと取材して回ったり…。英語の業務を任せてもらっているのはありがたいですね。



――学生時代やっておいて良かったことはありますか?


全部かもしれません。きっとこれって学生に対してのメッセージという意味を含めているものだと思うので、それを鑑みて言うと、その時に思ったことは全部やるべきだと思います。

私は、その時の原動力「アナウンサーになりたい」という気持ちというものが一番大きかったので、そのために全部動いていました。

学生は社会人より絶対時間あると思うし、躊躇せずにやりたいと思ったことはやるべきだと思います。ちょっとお金がかかりそうなことだったら、そこは親に頼むとか、自分でアルバイトを頑張るとか、やり方はいくらでもあると思います。

遊ぶためとか、旅行するためにアルバイトを頑張ったりすると思うけど、それと同じで、本当になりたいものとか、叶えたい夢があったら、そのためにも頑張れると思うんです。私は旅行に行くことも自分のためになることだと思っているし、美味しいもの食べることも、自分のためになると思っています。大事なのは、全てのことに五感を働かせることだと思います。

寒くなってきたら「寒い」っていう感情とか、美味しいものを食べた時の喜びとか、味とか、これってなんだろうっていう、「なぜ?」って思う気持ちとか、一つひとつの出来事とか、目の前のものに敏感になることが大事だと思います。



――それが本当の意味の“経験”。自分の身にしないと、体験しても体験で終わっちゃうということですね。


多分、アナウンサーの仕事って決められた道っていうのは無いんだと思うんです。農学部に行っている人だって、獣医学部に行っている人だって、宇宙工学の勉強をしている人だってなれる。

その人がそこで何を得て、どう動いたかっていうことが一番大事なことだと思います。多分どの社会人に対しても大事なことだと思うんですが、アナウンサーって色んなマルチな世界を見る仕事なので、そういう意味でも、色んな経験とか視野を持ちたいと思う気持ちとか、持っていることっていうのが一番大事になってくるのかなと思います。それがその人の深みであり、個性になってくるんだと思います。







――なぜ、フリーになろうと思ったんでしょうか?


テレビ大阪時代が契約アナウンサーで、3年契約だったんです。4年目も続けようと思ったら続けられる環境ではあって、他にも広島の局とかにもお誘いいただいたんですが、もう一回局アナをやるか、そのままフリーになるかって考えた時に、思い切って挑戦してみようかなってその時思ったんです。色んな人に相談した時に、なるんだったら1年でも早いほうがいいって言われて。でも今思えばすごい大きな決断というか、強行な決断だったなっていうのは正直思います。



――その決断は、今は良かったとおもいますか?


良かったと思います。ただ、本当にしんどかった時もありました。仕事の面でも収入の面でも思ったようにいかなくて。貯金通帳とにらめっこしながら過ごしていた時期もあります。今は「すごいバリバリやってますね」っていうふうに言っていただけるんですけど、本当は私向いてないのかなって思った時も沢山あるし、局アナに戻ろうかなと思ったことも何度もあります。だけど、その苦しかった時期が、逆に今の仕事と環境を勝ち取ったというか、大事にしたいという思いにつながっているからフリーになって良かったなって思うし、その苦しかった時代があって良かったなって思いますね。



――楪さんにとって、「アナウンサーとは?」


色んなものの最前線にいられる幸せがありますね。

皆さんが知りたい情報の一番前にいて、それをスピード感を持って正確に分かりやすく、嘘なく伝えるっていう、その大きな責任を背負っているから大変なんですけど、それでもそこにいられるっていうのはとても幸せなことだと思います。世の中の動きと一緒に生きられる仕事ですね。

あとは、人が好きだったら、たくさんの人に会えるっていうのも幸せを感じられる部分だと思います。



――キャスターやレポーター、スタジオのアナウンサーについて教えてください。


それでいうと、私、今いる環境をとても気に入っているんです。

多分多くの方が、記者が原稿を書いて、ディレクターが台本を書いて、アナウンサーはそれを渡されて、それを自分の言葉で伝えるっていうイメージを持っていると思うんです。

私も、大阪時代まではそうでした。地方局は結構、記者と兼務したりするんですけど、私は書いていただいた原稿をアンカーとして伝える、そのまま間違えずに読んで伝えるという仕事をさせてもらってきました。

今の環境はその時と全然違っていて、キー局にいながら、スタジオでしゃべることは全部自分で考えさせてもらっています。ディレクターの方とかに「いいの?任せちゃって?」って言われたりするんですが、私にとっては逆にその方が、私の言葉と思いで伝えられるからとてもありがたいんです。

その理由は、私の今後の目標にもつながってくるんですけど、これからアナウンサーも意見を言えるような時代にもなってきていると思うんです。やっぱり20代の頃には言えなかったコメントや偉そうに聞こえるコメントも、30代では経験も説得力も増すので見られ方は変わってくるはずです。

私がお母さんになったら今度は母親としてのコメントとかも言えるようになってくるわけで、そういうことを織り交ぜて、自分の言葉で、より皆さんの心に伝えていきたいっていう思いがあるからこそ、全部自分でまとめさせてもらっています。自分でまとめるって事は、そのための下調べ、裏取り、構成、それに伴う知識付けと、色々やらなきゃいけないんです。でもそれって言い方を変えると、全部自分のものになるってことなんですよね。

これはここ2年位の動きなんですが、その前の2年はほとんど私、外でフィールドキャスターをやっていたんです。台風があればそこに飛んでいったし、火事が起きればそこで中継したし、警察署の前から誰々が保釈されましたとかっていうニュースも現場に行ってやっていました。でも私はこれらの経験がすごく大事だと思っているんです。

スタジオで火事のニュースを伝えるときに、火事の現場に行っていなかったら、どんな状況なのかって想像できないから、コメントも薄くなってしまいます。現場はすごく焦げ臭いとか、息がしにくいこととかを知っていれば、例えば「近くにいる方はハンカチなどで口を抑えるなどしてください」というコメントも自然と思いつきます。先ほどお話した、五感を働かせて経験を自分のものにするという部分につながると思うんですけど、現場ありきのスタジオかなっていうふうに私は思います。

深みのあるキャスターになるためには、リポーターとか、フィールドキャスターといった現場経験がとても大事になってくるんじゃないかなと思っています。



――それぞれの経験が繋がって深みのあるアナウンサーになっていくんですね。


――逆に、記者やディレクターが書いたニュース原稿を読むことにも魅力は感じますか?


もちろん感じます!

読むことに注力できるというか、きれいに音を出すこととか、滑舌とか、色々なアナウンス技術があるんですが、ナレーションを1つにしても表現方法とか、喋ることにとにかく命をかけることができるということは大きな魅力です。



――かつてのそういった経験も今に活きているんでしょうか。


とても活きています。

今は今で、準備段階から取り組むから思い入れのある形で番組が作り上げられるけど、その一方で今はそんなに喋りの事だけを考える余裕はないから、その知識とか実力っていうのはこれまで積み上げてきたものが力になってくれていると思います。

これまで色々な原稿を見てきたから、なんとなくこういうことを喋った方が良いんだろうなというのが分かるというか、それが今にも活かせているという感じです。



――最後に、学生に向けて一言メッセージをお願いします。


とにかく「絶対に諦めなければなれるから」って伝えてあげたいなって思います。

全体的に言える話で言うと、今、新型コロナウイルスの蔓延で前代未聞の世の中になっていて大変なことも多いと思います。ただ、これをネガティブに考えずに、逆に、こういう世の中だからできることがある!というマインドに切り替えて、動いていったらいいのではないかと思います。

時代が変わった、まさにそのタイミングに自分たちがいるんだ!と言うくらいの気持ちを持って、望んでいく。それは、私自身も今思っていることでもあるし、環境の変化を楽しむぞ!くらいの、ドーンとした気持ちで色んなことに挑戦していくと、ひと回りふた回り大きい人になれるんじゃないのかなと思いますね。


——ありがとうございました!

 
 
 

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